
ALSID 初代スカイライン
昭和32年4月に発売された初代スカイラインは、ベンチシートの6人乗り4ドアセダンだった。(ALSID-Ⅱの価格87万円)当時の憧れであるアメ車のトレンドを巧みに採り入れたその高級感溢れるスタイリッシュなデザインは国産車の中では群を抜いており、とりわけ航空機を連想させる尖ったテールフィンは最大のポイントである。また、発売当時の最高出力は60馬力でその後70馬力~91馬力へとアップし、スタイルもさることながらメカニズムにおいてもプリンスの技術力の高さを証明している。
昭和35年11月にイタリアで開催されたトリノショーに、デザイナーのミケロッティが手がけた「スカイラインスポーツ」が参考出品されて話題となり一年半後に正式に国内販売されたが、生産台数はわずか約60台にとどまった。高級車グロリアの販売価格が約115万円だったのに対し、クーペ185万円・コンバーチブル195万円と類を見ない超高級車であった。

スカイライン2000GTR ハコスカレーシング#21
サーキットで勝つために生まれた「GT-R」は、JAFグランプリ2年10か月にしてサーキット50勝の前人未到の記録を達成しました。同車両は'72年3月の富士300kmスピードレースから同9月の富士インター200マイルレースを久保田洋史のドライビングにより3戦連続表彰台という輝かしい成績をおさめた車両です。
サーキットで勝つために生まれた「GT-R」は、JAFグランプリ2年10か月にしてサーキット50勝の前人未到の記録を達成しました。同車両は'72年3月の富士300kmスピードレースから同9月の富士インター200マイルレースを久保田洋史のドライビングにより3戦連続表彰台という輝かしい成績をおさめた車両です。

HR32(改)オーテックバージョン
1992年4月...スカイラインの父こと櫻井眞一郎氏率いるオーテックジャパンのプロデュースにより、走る歓びを知り尽くした大人のためのグランドツーリングカーがベールを脱いだ。 この上品なイエローイッシュグリーンパールメタリックのボディカラーがひときわ大人のムードを漂わす車両は、GTS-4の4ドアセダンをベースにGT-RのRB26DETT からターボを取り去り、 220psを発揮するRB26DEを移植した他、それに伴う高い制動性能、快適な乗り心地のためのサスペンションを採用するなどし、“街乗りからスポーツ走行まで“を安全に且つ高質な走りにすることをコンセプトに生まれてきた。それは「GT-Rに興味はあるけれど4ドアがいい」「ハイパワーよりもフィーリングが大事」など、スカイラインにこだわりを持つユーザーに奉げられた限定198台のスペシャルカーである。
1992年4月...スカイラインの父こと櫻井眞一郎氏率いるオーテックジャパンのプロデュースにより、走る歓びを知り尽くした大人のためのグランドツーリングカーがベールを脱いだ。 この上品なイエローイッシュグリーンパールメタリックのボディカラーがひときわ大人のムードを漂わす車両は、GTS-4の4ドアセダンをベースにGT-RのRB26DETT からターボを取り去り、 220psを発揮するRB26DEを移植した他、それに伴う高い制動性能、快適な乗り心地のためのサスペンションを採用するなどし、“街乗りからスポーツ走行まで“を安全に且つ高質な走りにすることをコンセプトに生まれてきた。それは「GT-Rに興味はあるけれど4ドアがいい」「ハイパワーよりもフィーリングが大事」など、スカイラインにこだわりを持つユーザーに奉げられた限定198台のスペシャルカーである。

BNR34GT-R〔車台番号010107〕
先代GT-Rでの反省点と、その開発過程で得られた技術的なノウハウを投入し「世界一の走り」をテーマに掲げて開発された10代目のR34型は、居住性よりも走行性能を重視し平成10年5月に登場。ボディーのサイズダウンを図ると共に剛性を大幅にアップ。走行安定性を向上させ、その重さを意識させない仕上りとなった。そして翌年1月にはGT-Rが発売され、Vスペック・VスペックⅡ・Mスペック...と開発陣の限りないエネルギーと情熱を注ぎ込まれ、常に「究極」を追い求め進化し続けてきた。そうGT-Rは決してとどまることを許されなかった。それらGT-Rの集大成ともいえる最終限定車VスペックⅡ「Nur」は発表当日に1000台が完売する快挙を成し遂げ、改めてスカイラインの人気の高さを証明しながら二世代GT-Rはフィナーレを迎えた。R34は20世紀最後のGT-Rとなったのである。この車両は、日産村山工場で最後に生産された、まさに記念すべき一台である。
先代GT-Rでの反省点と、その開発過程で得られた技術的なノウハウを投入し「世界一の走り」をテーマに掲げて開発された10代目のR34型は、居住性よりも走行性能を重視し平成10年5月に登場。ボディーのサイズダウンを図ると共に剛性を大幅にアップ。走行安定性を向上させ、その重さを意識させない仕上りとなった。そして翌年1月にはGT-Rが発売され、Vスペック・VスペックⅡ・Mスペック...と開発陣の限りないエネルギーと情熱を注ぎ込まれ、常に「究極」を追い求め進化し続けてきた。そうGT-Rは決してとどまることを許されなかった。それらGT-Rの集大成ともいえる最終限定車VスペックⅡ「Nur」は発表当日に1000台が完売する快挙を成し遂げ、改めてスカイラインの人気の高さを証明しながら二世代GT-Rはフィナーレを迎えた。R34は20世紀最後のGT-Rとなったのである。この車両は、日産村山工場で最後に生産された、まさに記念すべき一台である。